君の手に残る指輪。

ジャニーズと日常と活字と映像。

私の担当について話してみる。

こんにちは。先日、担降りの方の記事がすごく話題になっていて、私も個人的に興味深く読ませてもらっていました。担当にかける思いの強さとか、好きであるが故の葛藤とか。自分とも重ね合わせて、改めて「担当」ってすごい概念だなあ、と思いました。

「担当」っていう言葉の意味もその言葉自体も、新規の私にとってはまだ馴染みの薄い言葉です。

私は元々、昔ぼんやりとジャニーズの何人かのことを好きでいて、それでも「ジャニーズ」について詳しく知ろうとか、深入りしようとかいう判断をしたことはなくて。今考えてみると、私にとって当時好きだった彼らを「アイドル」として観ていなかったのではないかな、と思います。一歌手としてだったり、一俳優としてだったり。

それでも私は純粋に当時好きだった彼らを「好き」でいた。担当という言葉は認知も理解もしていなかったけれど、それはある意味今だったら「担当」という概念なのかなって思います。ちなみに…私が初めてジャニーズで好きになったのは亀梨和也です。完全なごくせん出です。私が生まれて初めに買ったCDは「青春アミーゴ」だったりします。ダイレクトにそういう世代です(笑)彼を好きになった切っ掛けが完全にドラマからで、私は彼の演技と彼の役から彼を好きになったわけで、あまりジャニーズとしての彼を観ている自覚はなかったかも。

そして当時好きになった順を簡単に説明すると亀梨→光一くん→松潤→手越。私の当時の好きだったジャニーズの流れはここです。最後が私が中学生ぐらいの時。そこからずっと、昨年末までジャニーズの存在は私にとって大した位置づけではありませんでした。(でも以上に挙げた4人に至っては見かける度にそれなりに反応はしていたような。自分から積極的に観ることはしてません)何てったって二次元に浸りっぱなしだったもので(笑)ジャニーズを好きになってからこっち、ジャニーズを好きな人でも二次元好きな人も沢山いるということを知って驚きだったのも記憶に新しいです。逆に、二次元好き!な人たちにとってはジャニーズって結構マイナスなイメージというか、(笑)みたいな風潮がある気がするんですよね。だから溝が深いイメージが自分の中でもしちゃってたんだろうなあ…。

ともあれ、昨年末何があったかというと。何てことない話で、某笑顔動画サイトさんであるグループのサビメドレーみたいなのを聴いてたんですよ、作業中に。私は作業中にあまり興味がなかったりとか、あまり詳しくなかったりする曲を流していると作業がはかどるタイプで、私はその時も何気なく思い浮かんだグループの曲を作業用として選びました。

作業すること4時間ほど。作業が終了して、私の頭に形成されていた思い。それは、「こんな歌上手かったんだ…!!」でした。今思うと失礼にも程があるわ!って感じなんですが。私は初めてその時、そのグループを「ちゃんと認知」して、好意的に思った。それが私とKinKi Kidsとの出会いでした。

上に挙げたように、私元々堂本光一くんが好きだったんですよ。理由はその好きになった切っ掛けでして。KinKiファンならわかることだと思うほど周知な出来事なんですが、ええ、あの、「3回打ちひしがれ事件」です(笑)

わからない人も居ると思うので一応説明を。2005年6月10日(調べてもうそんなに前の話になるのかと驚きました)、KinKi Kids2週目のMステ出演の回。当時の新曲「ビロードの闇」の歌披露の際に、光一くんが歌詞を間違えるということがありまして。この曲のパートは光一くんから入るのですが、

「痛いくらいの不安をひとりで抱え 眠れぬ夜に打ちひしがれる こんな時代じゃ退屈な夢も 僕らは見ることさえ許されないだろう」、

そういう歌詞です。そこを光一くんがどう歌ったかというと、

「痛いくらいの不安をひとりで抱え 眠れぬ夜に打ちひしがれる こんな時代じゃ退屈な夢も 僕らはひとりで打ちひしがれるだろう」…。

初めに「打ちひしがれる」って歌詞の部分があって、そこに釣られて後の部分の歌詞にも「打ちひしがれる」って入ってしまって。そして続く剛さんは、光一くんが間違えたのに笑ってしまって、剛さんも自分の歌詞を間違えたという。「打ちひしがれる」という通常歌詞で1回、間違いの「打ちひしがれる」で2回、歌い終わった後にKinKiが打ちひしがれたということで3回、と3回打ちひしがれた…ということで3回打ちひしがれ事件と剛さんが称していて。KinKiでMステといったら伝説と言える回だと思うんですが(笑/その事実もKinKiを好きになってから知った)、私はこの放送をリアルタイムで観ていて。3週連続、ということでこの次の週もKinKiさんは登場してちゃんと無事に披露してくれるのですが、その披露の前に「先週の間違いの検証VTR」なるものが番組側によって作成されてまして(笑)そこで歌っている先週のKinKiさんが流れる中、KinKiが解説をするという構図ができあがってて。もう、KinKiのファンでもなかったのに歌詞間違える光一くんが本っ当楽しくて間違えたのに楽しそうな光一くんがすごく楽しくて!(笑)あんなきらっきらした外見であんなやらかす姿がすごい印象的で。私が光一くんを好きになった瞬間でした。

 かくして光一くんを好きになった私ですが(今でもビロ闇はMステリピートしすぎたせいで私は間違い版の歌詞で歌いそうになる)、それでもKinKiが好き!ってことにはならなくて。元々私の母親が緩~く剛好きだったということもあり、反骨精神みたいなこともあったと自覚しているんですが(笑)私は剛さんが苦手だったんですよね。そう思っていたのが、昨年末、先に述べたように曲を聴いて、歌声を聴いたことで完全に崩れて。今までちゃんと剛さんのことを観ていなかった、それによってKinKiのことも全然観れていなかったことに気付かされて。そして二人の声が合わさるとこんなにも儚くて悲しくて閉鎖的な空間をつくり上げるんだってことが沁み渡ってきて。すぐに次の回の堂本兄弟をリアタイして、ラジオも初めて聴いて。それから日々KinKiを好きな気持ちが増す日々へと突入し今に至っています。

そんなこんなで。KinKiファンって、担当っていう言葉とはあんまり馴染みがないと思っていて。どっちが好き、っていうのも「どちらかというと○○寄り」っていう風に「寄り」って表現するまた特殊な事例でもあるなあってのも感じてて。それは一番にKinKiファンの「2人で1つ」「2人ぼっち」「2人でなかったらKinKiではない」っていう風な、「KinKiは2人でKinKi」「だから2人とも好き」っていう気持ちの素敵な表れだなと思います。そしてファン層でいうと個人担関係だとKinKiファンは大分ごちゃごちゃしていたりするので、それとは逆に「KinKiファンです、両方好きです!」って表現することが多いのかも。寄りなし、っていうのもすごいいっぱい見かける。ある意味「箱推し」って概念何だと思うけど、そもそも2人じゃないとKinKiは出来あがらないから、箱というよりも「KinKi」という個人を応援してる、みたいな感覚なのかな。KinKiファンの熱量すっごいなーーっていつも思ってます。飢えてるが故にもあるんだろうけど、それでも2人を信じて、多分どのグループよりも要望活動に熱心で。そしてコンサートの雰囲気がすごく落ち着いていて綺麗だなって思う。KinKiを好きになって、ジャニーズについて色々知ってから、色んなグループを観てきたけど、KinKiが醸し出す雰囲気は他にはない神秘的なものを纏ってるなって思う。

KinKiって素敵だと思うしKinKiファンも素敵だと思う。そういう意見を私も確実に持った上で、私はそれでも「担当」っていう立場を自分の中ではっきりさせていたくて。私にとってそれは、一番好きで一番応援したいっていう素直な気持ちです。だからそこで「KinKi担」と言ってしまうのは、2人で1つという意味でならあっているのだけど正確には違くて。

私は「KinKi Kids堂本光一」担を名乗りたい。母体があってこその彼。もちろんソロの活動も彼であるのに違いないし応援している。けれどそれは私が好きになった「KinKi Kids」という存在である「堂本光一」その人だから。私はKinKiとしての彼をこれから先できる限り追い続けていきたいと思っているし、私が「担当」という概念を認識して理解した上で、自分がその位置に置くとしたらという問いを自分自身に投げかけてみて、彼以外の存在はそこには相当しなかった。好きになったジャニーズは沢山いたし、もしかしたら今考えるとそれは「担当」の概念に匹敵するような存在だったのかもしれないけど、それでも私は言いたい。私にとっての初めての担当は、「KinKi Kids堂本光一」です。この担当が最後になるかはわからないけれど、今のところ色んな若手に手を出しつつも降りる予定は全然ないです(笑)。

そして私の大好きな彼の片割れとして傍ですっと一緒に居続ける剛さんのこと、今の私はとても愛おしく思うし2人が2人で居られる、居続ける未来を考えると私はとても幸せに思う。だいすきです。

これからもずっとずっと、KinKi KidsKinKi Kidsで居られる未来でありますように。